2026.08.30 巨匠たちの追憶Ⅲ
更新日:9月24日
日比恵三 & 平井陽子 DuoConcert ~巨匠たちの追憶Ⅲ~
プログラム
バルトーク:ルーマニア民族舞曲
コダーイ:カライケットーシュ カーロー地方の二重舞曲
ヴェチェイ:ワルツトリステ
クライスラー/ドボルザーク:スラヴ幻想曲
スメタナ:故郷より
休憩
バルトーク:無伴奏ヴァイオリンソナタ
ショパン:ピアノソナタ第3番
シマノフスキ:ノクターンとタランテラ
ブーランジェ:ピッチカートワルツ
ディニク:ホラ マルツィショール
ディニク:チョカルリア
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今回で8回目となる平井さんとのデュオコンサートは、盛況のうちに終えることができました。認知度があまり高くない曲が並ぶ中でも、多くのお客様にご来場いただき、ほぼ満席となりました。感謝申し上げます。ご来場くださいましたお客様、スタッフとして協力してくださった方々、何より今回も大変な中一緒に完走してくださった平井さん、本当にありがとうございました。
事前の予想に反してというか、演奏者目線では意外なことに、バルトークの無伴奏ヴァイオリンソナタの反響が多く、大変ご好評頂きました。「あっという間に終わった」というようなご感想もあり、このような大曲を含んだ長時間のプログラムを、ダレずに最後まで聞いていただけたのは、曲のパワーかプログラムの妙なのか、はたまた演奏技術の向上かさだかではありませんが、非常に嬉しく思います。
さて、今回は毎年恒例のプログラムノートが5枚20ページと非常に大作となっておりますが、本番中のトークでお話したように書ききれないことが多くありました。箇条書き形式にはなりますが補足させていただきます。とりとめもない話になりますが、最後までお付き合いくださいますと幸いです。
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ソナタ形式について
我々クラシックの演奏家は、ソナタ形式を標準的、代表的な曲の形式の一つと捉えています。ソナタ形式は"辻褄"や理屈、説得力といった面で優れた形式であり、聴き手が道筋をたどって音楽を追うことができ、おそらく作曲家にとっても大作を書きやすい形式なのではないかと思われます。
今回のプログラムで改めて感じたのは、そのソナタ形式の特異性です。
というのも、7月の無伴奏リサイタルや、今回のコンサートで民俗音楽を沢山弾きましたが、ほぼすべての曲が「3つか4つのパーツを横並びにして、2回繰り返しておしまい」という形式をとっているのです。1曲の長さは数十秒、長くても2分程度で、それも繰り返しによって長くなっています。
パーツ一つ一つの個性が強い一方で、関わり合いは薄く、短くなっているというのが、今回演奏した楽曲に見られる特徴です。
これはパーツが独立しているためにどこから聞いても楽しめ、繰り返すので聞き逃しても大丈夫、という利点を持っていると言えます。お祭りの場や酒場などで聴く分には、非常に理に適った形式と言えるでしょう。それらの場では、ソナタ形式のような初めから最後まで集中して聴く音楽は、成立にくいのだろうと想像できます。
一方で、盛り上がりはマッチのように一瞬で、長続きしないという特徴もあります。長大な物語というよりは二つ三つの単語での軽妙な会話と言えます。
これはどちらが優れているか、良いか悪いかという話ではもちろんありません。15分から30分程度の時間をかけて、じっくりと言いたいことを練り上げ、それを観客と共有するような場にしたいのであれば民俗音楽は不向きであるし、環境的にそこまでの集中力を要求できないと考えるのであれば適していると考えられます。
このように、普段慣れ親しんでいるソナタ形式が如何に特別な存在なのか、実感するプログラムとなりました。
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西欧の窓口としてのウィーン
東欧音楽が西欧へ広がっていく際の窓口の一つとして、19世紀後半になってもウィーンは大きな役割を担っていたのだと感じました。
G.ブーランジェもG.ディニクもパリで成功した形のようですが、ピッチカートワルツにはウィーン風のワルツの色が濃く出ています。ヴェチェイのワルツにも同じことが言えます。
ここからウィーンでひとまず受け入れられることを目指して曲が作られ、実際にそこで成功したものが、現在我々の目の前に残っているのではないか、というような印象を受けます。
ルーマニアのラウタリ文化を背景に育った音楽スタイルは、現在でも動画サイトなどでその演奏を見ることができ、非常に東欧らしい響きや色合いを感じさせます。しかし、それが西欧の聴衆に広く受け入れられるためには、多くの工夫が必要だったことでしょう。
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コダーイ、カライケットーシュについて
この曲は非常に演奏例が少ないようで、まず、日本語の正しい訳が調べた限りでは存在していません。私の独断でカナ読みと意味をつけましたが、良い曲なのにあまり知られていないことが残念です。
最近、「どこから曲を見つけてくるのか」とよく聞かれます。ここしばらく、誰も知らないような曲を見つけてきては皆さんの前で演奏しているのですが、その曲があまりにも多いのか、聞かれることが増えてきました。特に同業の方に聞かれることが多い印象です。
このコダーイのカライケットーシュについては、高校生の頃に隣の席の子に借りたオイストラフのCDに入っていた一曲をずっと覚えていて、ついに今回演奏したという形になります(ちなみに、これ以外の録音を見つけることはできていません)。
他にもここ最近弾いたものでは、シベリウスのユーモレスク、グラズノフのレイモンダの間奏曲なども、高校生の頃に聞いたオイストラフの録音がその曲を知るきっかけになりました。
プログラムノートに書いたように、カライケットーシュは楽譜が絶版に近い形になっており、探すのも一苦労でした。ウィーン滞在期間にハンガリーの楽譜屋さんで発見した版は私の演奏したかった編曲ではなかったので、結局今は無いロシアの出版社から出ていた楽譜をなんとか入手し、今回演奏に至りました。
オイストラフやその他同時代の演奏家のライブ映像をみていると、20世紀半ばまでは、沢山の「知名度は低いが素晴らしい曲」が演奏されていたようです。しかしその演奏会自体のスタイルは20世紀末には受け継がれず、楽譜もCDも絶版、廃盤になり、耳にする機会が無くなった楽曲は、非常に多いのではないかと思います。
商業的な成功が伴わないと中々厳しくなっている20世紀以降の芸術業界ですが、現在はデジタル化やインターネットのおかげで比較的喪失の速度は緩やかになっています。
様々な楽譜を探していますが、まだ間に合う、といった感覚です。これらの消えつつある楽曲を守るには、まずは演奏機会を設けることが第一なのかなと考えています。
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東欧の動き、日本の動き
今回のテーマの一つが、作曲家たちが民俗音楽をどう扱ったか、というものでした。バルトークは民俗音楽の研究、保存のために文字通り東奔西走し、コダーイも自国内へのハンガリー音楽の普及を目指しましたが、これと時期を同じくしたのが日本の明治政府でした。
明治政府が学校制度を整備する中で、学校で音楽を教える必要が生じたものの、日本には近代的な音楽教育制度も教員養成の仕組みもなかったという事情があります。そこで1879年、文部省に音楽取調掛が設置されました。上野に置かれたこの機関は、のちに東京音楽学校になり、私や平井さんの母校である東京芸術大学になります。
ここで五線譜などの西洋音楽の機能的なシステムに対して、日本の音楽や音楽教育をどうするべきかという重大な決断を下しました。
西洋音楽に振るのか、日本音楽に守り抜くのか、当時いくつか選択肢がありましたが、音楽取調掛は、日本の音楽を西洋音楽の体系の中でどう扱うかを研究し、西洋音楽と日本音楽の折衷を目指すという方向に舵を取りました。
当時、担当官の伊澤修二は、「東西二洋ノ音楽ヲ折衷シ、新曲ヲ作ル事」という方針を掲げています。
五線譜という西洋の仕組みを使いながら、日本の音楽的要素も取り入れた新しい音楽教育を作ろうとしたのです。その後、日本の学校には多くの唱歌が定着し、こうして作られた音楽教育は、現在の私たちの音楽観にも大きな影響を残しています。
19世紀後半から20世紀初頭には、世界各地で「近代化する自国をどのような文化によって形作るか」という問題が現れました。
7月のプログラムでも扱ったアルゼンチンにも、ヨーロッパ化を進めようと大量のヨーロッパ人の移民を受け入れた歴史があります。この時代は世界規模での交流や人の移動が急速に広がり、あらゆる国が自国の文化を見つめ、自分たちの国をどうしたいのかを決める時期だったと言えます。
当時の人々がどれほどその自覚があったかは分かりませんが、その結果、100年たった今でも、その土台の上で我々は音楽的な価値観を作り、それに沿って音楽活動をしているように思えます。
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ルーマニア民族舞曲について
この曲は今回のプログラムで唯一の「誰もが知る曲」ではありますが、ある意味で難しい判断を迫られた曲となりました。調べれば調べるほど、この曲の私含め皆が持っているであろう「パブリックイメージ(いわゆる慣習)」と、「周辺情報から導かれる弾きたい音楽像」が離れていくのを感じたからです。
というのは、例えば第3曲のハーモニクスで演奏される「踏み踊り」は、一般的に物悲しく、メランコリックな雰囲気で演奏されます。しかし、その踊りを映像で見てみると意外と躍動感あふれており、篠笛に近いような縦笛の演奏も鋭くリズミカルです。
第4曲は、"バルトークが作曲当時「ブルガリアリズム」の存在を知らなかったので三拍子で書かれた"という説があります。ブルガリアリズムはここでは「16分の4+3+3拍子」であると考えて弾くと、だいぶアゴーギク(揺れ)の効いた、印象が変わった演奏に変わります。
これについて答えを得ようとバルトーク本人のピアノ演奏も残っているので聞いてみましたが、従来の楽譜以上の感想を持つことはできませんでした。
果たしてどちらを選択するのが、クラシック音楽の演奏家として正しいスタンスでしょうか。作曲家の意図に沿うべきというのであれば、楽譜通りでしょうか。それともより周辺情報から得た雰囲気を重視して出すべきでしょうか。
結局は弾きたいように弾くしかありませんが、これは非常に悩むところでした。ただ、民俗音楽が原曲にある楽曲に関しては、「パブリックイメージ」が、本当に"その楽曲の魅力を引き出す演奏"かどうか、今一度精査する価値があると感じました。
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バルトークとシマノフスキ
今回もっとも個人的に興味深く感じたのが、シマノフスキのノクターンと、バルトークの無伴奏ヴァイオリンソナタの第3楽章の類似です。
"ピアノやピアニッシモの部分は比較的演奏者が自由に演奏できるように書かれている"、"特殊なモチーフで前後を挟んだ、雰囲気を異にするパートがある"、"最後が5度のハーモニクスで終わる"、など、曲全体の雰囲気や構造が似ている部分があることを発見しました。
これは偶然の一致でしょうか。
実はそうではありません。バルトークがシマノフスキの「神話(ノクターンとタランテラと同じく中期に書かれた楽曲)」の楽譜に書かれた指示について、出版社に問い合わせていたというのは、論文の中で事実として認められています。
それによれば1921年10月に、Universal Edition(ウィーンの出版社で、変わったラインナップが魅力な、現在でもメジャーな出版社)へ、ノクターンとタランテラや神話を含む4曲の楽譜を手紙で注文しており、その後ヴァイオリンソナタ(無伴奏ヴァイオリンソナタとは別物)を書くことを決心しています。
つまり、バルトークがこの時期のシマノフスキのヴァイオリン作品を実際に手元に置き、研究していたことは間違いなく、現代の研究でもヴァイオリンソナタ1番2番とシマノフスキの作品には多くの類似点が指摘されています。
もちろん、強く関連性が見られるのはヴァイオリンソナタに限った話であり、無伴奏ヴァイオリンソナタとの類似を学説として扱うには、ここから慎重に検証をしなければいけません。しかし演奏者としては、これだけでも十分に面白いものです。
ヴァイオリン弾きがバルトークの音楽を理解する足掛かりの一つとして、「シマノフスキ中期を研究した成果が含まれる」という要素は、非常に意味のある材料になります。
一方バルトークの人物像としても興味深く、ヴァイオリンソナタの1番2番を書いたのが1921年、1922年のことですが、無伴奏ヴァイオリンソナタは1944年です。20年以上たってもなお楽譜に現れているのであれば、その研究はバルトークの音楽的な感性に取り込まれていると見ることも出来ます。
これらの事柄は、練習の中で「そうかもしれない」と思わなければ見つけることはできませんでした。つまり、何らかの軸によって一緒のプログラムに組み込み、自分で実際に同時期に弾くことがなければ、この類似性には気が付けず、調べてみようとも思わなかったことでしょう。
実際に弾いてみることで気が付くことは大なり小なり沢山あるのだなぁと実感した話でした。
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さて、更にとりとめのない話、演奏家だけに留めておくべき話も含めて、小話はもういくつかあるのですが、ここまでにとどめておきます。
曲が曲だけに、私にとっても未知なことが多く、目の前のプログラムどう捉えるかは手探りでした。ある意味では聞きに来てくださった皆さんと近い立ち位置に居たのではないかと思います。
そんな中で皆さんと東欧の世界観を少しでも味わうことができたのは嬉しく思います。
次回からは(反動ではありませんが)、年内はストレートに楽しめるプログラムが続きます。
秋の行楽として、ぜひ足をお運びいただければと思います。
それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました。(26.09.08)
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