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2025.10.4 秋と音楽

更新日:1 日前

能登半島地震支援チャリティーコンサート


プログラム

H.W.エルンスト:夏の名残のバラ

C.ボーム:サラバンド

M.T.v.パラディス:シチリアーノ

トーク - 曲と旅先は選ぶ理由が似ている

J.シベリウス:ノベレッタ

J.アクロン:ヘブライのメロディー

A.ドボルザーク:マズルカ

J.ブラームス:スケルツォ

R.グリエール:ロマンス

F.クライスラー:シンコペーション

S.ラフマニノフ:ヴォカリーズ



2025.10.4(土) 静岡教会


ヴァイオリン:日比恵三

ピアノ:小澤実々子



 能登半島地震支援のチャリティーコンサートで、前回の6月に続いて今年3度目の開催です。前回はバロックプログラムでしたが、今回は知られざる名曲集としました。ピアニストの小澤さんと、様々な曲をお聞きいただきました。

 あいにくの雨(それも今年3回とも!)でしたが、回を追うごとにお客様も増え、嬉しく思います。


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演奏後記:秋と芸術



 誰も知らない曲を数多く並べて聞いていただきましたが、今回のコンサートも楽しんでいただけた実感があり、嬉しく思います。

 いただいた感想としては、オーケストラを聞いているようだった、全身に電流が走った感覚があったなど、非常に嬉しいコメントを沢山いただきました。


 今回のプログラムは秋をテーマにして、知られざる名曲を聴いてもらうというものでした。


 では秋らしい曲とは何でしょうか。

 例えば「芸術の秋」という言葉がありますが、私はこの言葉に秋に写生大会や合唱コンクールを開いたりする、学校の教育的なこじつけのようなものを感じており、あまり好きではありません。幼稚園の頃から年中ヴァイオリンを弾いていた私にとって、秋と芸術に相関関係などなかったからです。


 また、今回のプログラムでは、直接的に秋を指す標題を掲げている曲はエルンストの作品のみと言ってよいでしょう。そもそもクラシック音楽には秋らしい標題を掲げる曲が少ないのです。


 それでも私は秋らしいと思って10曲選びましたし、むしろ選んでいる最中「クラシック音楽は何もしなければ秋になるのではないか」とまで考えが至りました。私の思い込みかとの疑念もありましたが、本番を終えてお客様にも秋を感じていただけたようで安心しました。


 秋というのは収穫やそれに伴う祭りの季節ですから、民間に発祥のある舞曲というのは季節で言ったら秋の性格を帯びるのだろうと考えられます。例えばジーグ、マズルカ、チャルダッシュなどは、そういった要素が入っていると考えても妥当性があります。

 ただその他の曲で言えば、作曲家が秋とは言ってない物に対して、我々は秋を見出したのです。


 これはどういうことでしょうか。



 俳句の秋の句を眺めていると、やはり冬に向かうことに合わせて、寂寞や憂鬱を詠ったものが多くみられます。

 「この道や 行くひとなしに 秋の暮れ(松尾芭蕉)」といった感情を思い起こさせる音楽作品は多くあります。私はブラームスにこのイメージが強いのですが、ドイツ語書籍の翻訳も手掛ける音楽評論家、吉田秀和もブラームスの本の中で「秋の音楽である」としています。寂しさを感じさせる部分を結び付けているのでしょう。


 哀愁郷愁憂愁の"愁"という字は秋の心と書くのです。これが日本人の持つ秋のイメージであるなら、メランコリックな旋律を、我々の感性は秋と紐づけるとも考えられるでしょう。

 日本人の感性が寂しさと秋を紐づけて無意識に解釈を加えているのでしょうか。


 これを知るには、ヨーロッパの詩人が秋についてどう述べているのかを見る必要があります。


 ドイツの詩人ヘルダーリンは「秋」のなかで、これから来る終末を感じさせながらも、果実や黄金の大地を描写し、一年が幸せな終わりを迎える成熟、完成の季節であると書いています。リルケも同様に「秋の日」で葡萄が熟す様子に、夏の終わりと冬への不安を詠んでいます。

 フランスではヴェルレーヌが「秋の歌」で"秋のバイオリンの長いためいきが私の心を傷つける"と詠んだのが有名で、ボードレールも「秋の歌(フォーレが曲を付けた)」を、"すぐに私たちは冷たい闇の中へと沈んでいくのだ。さらば短い夏の激しい輝きよ!"と始めています。


 ドイツの詩では秋に成熟と喪失、いわゆる"無常"を見出し、フランスの詩に感じる憂愁と恐れは、日本語的には"もののあはれ"と言ったところでしょうか。


 日本人の感性的にはこれらの作品を読んでいると「そんな長々と、大げさに言わなくても……」と思わないこともないですが、似た感情を日本人の詩人も五七五で詠んでいます。霧、虫の声、夕日などから肌寒さを連想させ、我が身の寂しさを思い起こさせる作品は多いでしょう。


 そうすると、冷帯、温帯に暮らす日本人とヨーロッパ人は、秋について概ね同じような感覚を持っていると言って良いでしょう。ヨーロッパの詩は日本のものよりも"実りの秋"を直接扱うので喜びや充足感を感じるところもあります。日本の農業は自然との戦ですので詩に読むには熱を帯びすぎるのかもしれません。



 さて、秋についての印象を詩をもとに比較してきましたが、音楽では言葉ほど具体的に物事を表すことはできませんから、何らかの明確な感情を表現することを目指します。

 別段、秋を標題に掲げていなくても、喜び、無常感、哀愁などはよくテーマになります。


 冒頭に"秋をテーマにした曲は意外と少ない、音楽は何もしないと勝手に秋になるのではないか"と書きましたが、日本人の持つ特有の感性が勝手に紐づけているわけではないのであれば、この考えは案外的を得ているのかもしれません。


 夏の暑さ、冬の寒さに苦しむことがないこの季節は、人間の感覚に余裕ができる季節です。その余暇を娯楽から感覚を摂取することにあてると考えると、○○の秋という言葉にも納得がいきます。


 私たち演奏家は季節関係なく感覚をせわしなく働かせているわけですが、今年のこの秋らしい秋に、皆様とご一緒できたことを嬉しく思います。


 次回のコンサートは来年の春、バロックプログラムを予定しています。またお会いできるのを楽しみにしております。

 
 
 

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企画・制作:日比恵三公式サイト

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